嵐担の私にお別れを。
タイトルから分かるかと思いますが、今回のブログは俗に言う「担降りブログ」です。
自分が担降りブログを書く日が来るなんて露程も思っていなかったので、まさに「何が起こるかは 分からないなんてさ」と実感しております。
決して明るい綺麗な話ばかりではないので、苦手な方はくるっとUターンされることをおすすめします。
また、私が自分の気持ちの整理をつけるために書いたブログなので、まとまりがない上に私の心の中のどす黒い部分が凝縮されていることをあらかじめ申し上げておきます。
人様の人生の貴重な数分をいただく価値があるかと言われたらおそらくあまり無いですし、それよりもみんな大好きストTubeを見ようZE☆という感じです(古い)(ダサい)。
それでも大丈夫だという心の広い方がいらっしゃいましたら、しばしお付き合いください。
では。
担降りするという事実と1年と少し嵐とSixTONESを掛け持ちしていたという事実から勘違いされてしまう可能性があるかもしれませんが、先の2点だけは前置きさせていただきたく思います。
(実際に嵐が活動休止を発表した時に、華にはSixTONESがいるからまだマシだね!と知人に言われたことがあったので…そうじゃないんだよ…嵐は嵐、SixTONESはSixTONESなんだよ…伝わりませんでしたが。)
ここ数年の話です。
あくまで趣味であるはずが、例えば「新しいCDが発売されるのね!欲しいな!楽しみ!」ではなく「新しいCDが発売されるのね!買わなきゃ!」と、義務感を感じている自分にもやもやしながら嵐を応援していました。
それでも何かきっかけがあれば「やっぱり嵐が大好きだな、ずっと応援したいな」と気持ちが持ち直すことはありました。
でも、特にここ半年ほどは「私は嵐担で嵐のことがずっと大好きでこれからもきっと応援し続けるんだ」と自己暗示をかけるようにして騙し騙し嵐担を続けてきました。
が、今はもう無関心に近い状態というか。
「好きの反対は嫌いではなく無関心」とはよく言ったもので、気の向かないことに対して何かをしなければならないと自分に思い込ませることは、こんなにも疲れてしまうものなのですね。
長い年月嵐を応援してきたプライドのようなものがありずるずるとここまで来てしまったけれど、自分の気持ちを偽るのにもう疲れてしまいました。
嵐のことが好きか好きでないかの2択だったらもちろん好きです。
でも、今の私の嵐に対する「好き」は、いわゆるお茶の間ファンの方が言う「好き」と同じだと感じます。
完全に無関心ではないのかもしれないですね。
何より私が苦しかったのは、自分が一番好きな嵐は現在進行形の今の嵐ではなく過去の嵐だと感じることが増えてしまったことでした。
それが最も顕著だったのはライブです。
嵐のライブは年々進化し続けているはずなのに、自分の気持ちに気づかないふりをしていたけれど、どうしても5×20のライブがあまり楽しくなくて。
例えるならば、主食・副菜・主菜・その他諸々バランスよく食べたいのに、これ好きでしょ?と言われながらずっと主菜を食べさせられているような感覚になってしまって。
(これは本当に申し訳ありません。入りたくても入れていない方が大勢おられるのはもちろん分かっていますし、ただの私のわがままです。叩かれても仕方がない発言だと自分でも思います。)
貴女にとって嵐のライブの最高傑作は?と聞かれたら迷わず「untitled」で。
20年の集大成なのに、嵐は常に最高を更新しているはずのに、何故私はこんなにも嵐担としてありえない気持ちを抱いてしまうのだろうかと苦しくてたまりませんでした。
ヲタクは自己責任、義務感を感じたら終わり、供給されるコンテンツが自分に合わないと感じたらそれはもう自分が対象外になってしまった証拠、といった旨のツイートを見るたびに、これは自分のことだと感じるのが苦しくて。
嵐は悪くない、私が嵐に費やした年月と言う名のプライドに囚われて自分の気持ちに真正面から向き合えていないのが悪い、身の程知らずもいい加減にしないか、何様のつもりなんだ、と思えば思うほど苦しくて。
私は嵐が好きなのではなくて「嵐担である私」が好きなだけなのではないのかとまで考えると本当に苦しくて。
アイドルを応援する上で「苦しい」という感情を抱く必要があるのだろうか?という思いから、もう潮時かなと感じていました。
(これは自戒を込めてですが、アイドルを応援する時は楽しんでなんぼだと思います。そして自ら応援すると決めた以上最後まで自分で責任を取ること、自分の負の感情を他人のせいにするなんてあってはならないこと、これを忘れてはいけないなと痛感しました。)
そして最も決定的だったのは嵐が楽曲を配信しYouTubeに進出した時のことでした。
「やったー!さすが嵐!」と思う私はどこにもおらず、「SixTONES(をはじめとするジャニーズJr.)は良く言えばパイオニアであり成功例だけれど、悪く言えば実験台になったんだな」としか思うことができなくて。
実験台だなんてそんなはずはないのに。
嵐のYouTube進出を伝えるツイートをRTしながら、実は自分の気持ちが明らかになってしまったことに対して涙が止まらなくなってしまいました。
そんな時です。
いつどこでどんな出会いがあるか分からないものですね。
Rough“xxxxxx”京都公演でお会いした方から「それはもう嵐は殿堂入りってことじゃない?」という言葉をいただいて、そういうことか、それでいいんだ、とスッと気持ちが楽になりました。
「殿堂入り」
なるほど。
もしかしたら私は誰かからの言葉や後押しが欲しかっただけなのかもしれません。
嵐のことは胸の奥底に大事にしまった上で、真っ直ぐSixTONESだけを応援しよう、と自分の気持ちが落ち着き固まりました。
嵐から担降りするとはいえ、これからも嵐の話をすることはきっとあると思いますし、ライブに行くこともあると思います。
月曜の夜のお供はスーツの翔さん、木曜の夜は楽しそうにはしゃぐ嵐を見て、土曜の夜は美味しいものを食べて幸せそうにする嵐を見る、という長年の習慣は簡単には変えられないでしょうし、正直に言うと12月の5×20名古屋公演が控えている状態での担降りです。
もう再び担当を名乗るほど熱量が戻ることはないですが、序盤に述べたように嵐のことを嫌いになったわけではないので、私は私のペースでゆっくり降りていこうと思います。
これからは「嵐育ちのスト担」としてSixTONESのエンターテインメントを楽しんでいくことをとても楽しみにしています。
嵐担だったからこそ分かる嵐の偉大さも、SixTONESと掛け持ちしていたからこそ分かる嵐の偉大さもあります。
今まで何度もたくさんの絶景を見せてくれた嵐に感謝しながら、これからはSixTONESと一緒に最高に素敵な景色を見に行くことを楽しみにしています。
最後になりますが、私のブログの大タイトルは嵐の楽曲のひとつである「いつまでも」から拝借したため、担降りを理由に変えようか迷いました。
でも、私の原点として変えずにいこうと思います。
私が一番好きな言葉遊びです。
「未知の上はしゃぐ、踊る未来の粒」
私はこれを「まだ先が見えず分かれ道が幾つもあるからこそ未来が一番面白い」と解釈しています。
(この曲では過去を悔やむようなニュアンスで使われておりますが、私のブログではそういった意味は無いです。)
さようなら、嵐担の私。
そして約12年間たくさんの幸せをくださった嵐の皆さま、本当にありがとうございました。
Let’s not say “goodbye”, but…?
2019/10/15 華