未知の上はしゃぐ、踊る未来の粒

ひとりごと。140字に収まらない時につらつらと。

お別れの後書きに。

 世にも見苦しい私の最初で最後の担降りブログを公開してから、早くも2週間が経とうとしています。

たかが2週間、されど2週間。
この2週間で思ったことや考えたこと、心を揺さぶられた出来事が思った以上に多かったので、備忘録としてまとめておこうと思いブログを書くことにしました。
例の如く綺麗なものではないので、軽い気持ちでお読みいただければと思います。



 担降りブログを公開してから、想像以上にたくさんの方がメッセージを送ってくださいました。
こんな一個人のしょうもない心の移り変わりを綴ったブログに対して優しくお気遣いいただき、心から感謝しております。
どれだけ私の心が救われたことか。
本当にありがとうございました!

どのメッセージも泣きながら読ませていただいたのですが、驚くほど多かったのが「同じような経験をしました」とか、「今抱えている感情に近いかもしれないです」といったメッセージです。
どなたも普段は明るく楽しく振る舞っておられるように思っておりましたが、その裏では葛藤されたり悩んだり苦しんだりされていることも沢山あるのだなと感じました。
それでも皆さまはいつも担当に対する愛の溢れたツイートをされていて、大人だなと思うと同時に、私も自分の感情に正面から向き合いつつもツイートする内容はきちんと取捨選択しなければならないと身が引き締まるような思いです。



 私が担降りしてから約2週間の間に、嵐に関して個人的に大きな出来事が3つありました。

1つ目は、嵐のベストクリップ集のCMを何度か目にしたこと。
2つ目は、嵐の公式YouTubeでライブ動画が3本アップされたこと。
3つ目は、松本さんプロデュースの嵐の会報が届きそれを拝読したこと。

この3つに対して、共通して

まさにこれが私が好きだった嵐だ…
とてもキラキラと輝いていたな…
私は本当に嵐が大好きだったんだな…
私の青春そのものだったんだな…

と感慨深くなり、毎度涙が止まりませんでした。

正直に言いますと、担降りブログを書き進める過程で「こんな大仰なブログまで書いておいて、後々『やっぱりまた嵐が好きになってしまったかもしれない』なんて言い出すことになってしまったら、恥ずかしくて仕方なくなって私のヲタク人生最大の汚点になるだろうな」と何度か思いました。

ですが、嵐担としての自分に大きく区切りをつけ約2週間過ごした中で、私の嵐に対する思いはやはりどうしても過去の中にしかないなと確信しました。

丸ごと引用してしまいますが、ひとりのフォロワーさんから「嵐担の素敵な思い出はぜひ永遠に別ファイルに保存しておいてください。」という素敵なお言葉を頂きました。
嵐担だった自分は否定しなくてもいいんだと思いホッとしましたし、約2週間経った今、嵐担だった思い出は自分の中で素晴らしいものになりつつあることが嬉しく思います。

これは余談ですが、嵐の公式YouTubeにアップされたライブのうち、特に2つのライブには個人的に思い入れが強いです。
私が一番好きなライブであるAAA(最高傑作だと思っているのは「untitled」ですが一番好きなライブはまた別です(笑))に、初めて母と一緒に参戦したARASHI BLAST in Miyagi…
アップされた動画を見て、そう来たか…!と軽くめまいがしました。

(担降りしたにはしたけれど脊髄反射でちゃっかりちゃんとチェックしてしまっているヲタクがここにひとり。)

ただの偶然ではありますがドンピシャで2つのライブが含まれていて、勝手ながら都合よく解釈し、嵐を降りる私に対して嵐の皆さんが餞別をくださったのかなと思うことにしました。



 余談が長くなりました。

私など何万人といる嵐担のうちの一人でしたが、私が担降りしても変わらずトップをひた走っている嵐の姿を見て、おこがましいにもほどがありますが「私が降りても嵐はきっと大丈夫!」とどこか安心したような気がします。

そして「いつかSixTONESも嵐とは別の道を開拓して、追いつき追い越し、その道が新たな王道となりますように」とスト担として改めて決意しました。



嵐とSixTONESに幸多からんことを。

2019/10/27 華